住友電工のダクト製缶製造でのじん肺被害
1971年から溶接工として就労していたNさんは、元々は父親が、そしてその父が亡くなったあとは兄の経営する会社で、住友電工此花工場のダクトの製缶を生業として働いてきました。
2014年にはじん肺健康診断にて管理2の決定を受けましたが、その事実も知らないまま数年働き続けていました。いよいよ息苦しさから体の動きも悪くなり、作業もままならなくなってきたころから、Nさんに対する経営者の態度に変化が見られるようになります。経営者は、Nさんが何をしても二言目には罵声を浴びせ、邪魔者扱いするようになってきたのです。Nさんの妻は、夫の様子とあまりの扱われ様を見るに見かねて2017年のアスベスト健康被害ホットラインに相談をしました。そのときの相談内容は、石綿肺について3割、会社からの無慈悲な仕打ちが7割くらいだったでしょうか。事業主はNさんにとっては血を分けた兄弟ですが、それを良いことに公私問わず兄の都合にあわせて好きなように使われている、とNさんの横で彼の妻も憤懣やるかたない様子でした。
Nさんは次第に咳、痰もひどくなってきたことから、2018年2月に再度管理区分申請を行い、その際に続発性気管支炎の発症も確認されました。この時点で労災請求はいつでもできる環境でしたが、日頃の兄からの嫌がらせにより心労がたたり、胃潰瘍やうつ病まで発症してしまいました。治療のための入院などの結果、半年以上じん肺の治療が滞り、労災請求をしたころには2018年の夏が半ば過ぎていました。
労災請求後も必ずしも順調に調査が進んだわけではなく、認定されたのは1年以上経った2019年10月でした。もともとは製缶という仕事であるため、建設業ではないことから労災保険上の事業主証明を行うべきは元請事業主ではなく、所属事業場、すなわち兄の経営する会社でした。しかし調査の途中で、元請の営繕作業、つまり建設関連事業が最終粉塵事業場であることが明らかになり、途中で所轄労働基準監督署の変更が行われました。元請事業場が他府県に所在することから、また、作業内容や粉じんばく露状況の調査が一から行われたことから、必要以上に時間がかかってしまいました。 いずれにせよ2014年当時に、じん肺が判明した時点で職種転換しておけば、今でも就労し続けることができたかもしれなかったNさんは、今後は企業賠償を求めて争っていくことにしました。すでにアスベストユニオンに加入し、要求書を元請企業に送付したところです。
(執行委員 酒井恭輔)