ニチアス 訴訟

ニチアスは日本最古で最大のアスベスト製品の製造メーカーだ。戦前の調査でもアスベスト肺の出現が顕著であったことが報告されている。2005年のクボタによる近隣住民へのアスベスト被害が明らかになった、いわゆる「クボタショック」と呼ばれるアスベスト被害が顕在化したが、すでにニチアスの工場・出張所・事務所などを合わせると200件近くのアスベスト労災が出ていた。 

それがなぜ世間で注目を浴びてこなかったのか、色んな考えはあると思うが労災申請にニチアスが協力し、労災になると「口止め料」と言うべき見舞金で被害者と家族を黙らせることによってスルーしてきたのではなかろうか。

いずれにしろニチアスを相手に交渉が始まったのは2006年9月の全造船ニチアス退職者分会の結成。その時に労災認定者につながったか、アスベストによる胸のプラークについての補償、そして退職後の健康対策についてまでの要求を掲げて団体交渉をした。しかしニチアスは団体交渉を拒否!「退職した元労働者に団体交渉権はない」との理屈を言ってきた。労働委員会や裁判を通じてこの問題を追求し続けてきた。そんな中で2010年10月に奈良・岐阜・札幌の3地裁で原告6人がニチアス相手に損害賠償裁判を提訴した(この裁判は札幌・岐阜で完全勝訴、奈良は敗訴)。 2011年1月、住友ゴム2最高裁2退職者であっても団体交渉権はある殿判断を認め決着 。現在でもニチアスを相手に静岡地裁で損害賠償裁判を争っている。

加害のトップリーダーでもあるニチアス。しかしこんな状況を見ると失格と言わざるを得ないのではないか。例を挙げると H さん(女性)は中学を卒業してアルバイトとしてニチアスの工場で24ヶ月働いた、そして60歳手前になってから中皮腫を発症して労災が認められた。ニチアスの社内規定には中皮腫で亡くなった場合の補償がある。しかしニチアスの回答は、彼女は社員ではなかったから、つまりアルバイトには何の謝罪や補償もしないということだ。広がり続けるアスベスト被害その根幹の所にニチアスがいるとのことを決して忘れてはならない 。