設備工事会社の元従業員が中皮腫で死亡 遺族が交渉、和解金を獲得
Fさんは工業高校卒業後、66年4月から91年12月まで、東京に本社のある大手設備工事会社の名古屋支店で、団地等の空調設備や水道設備工事現場の監督として働き、鉄骨にアスベストを吹きつけている環境で作業をしたり、空調配管、断熱、保温、ボイラー関係の工事で石綿を含有する製品を加工したりしてアスベストにばく露した。その後転職し、設計事務所で人材管理の仕事をしていた13年10月25日、出勤途中に突然息が苦しくなり、歩くのも困難になり、職場近くの東京逓信病院に駆け込んだ。検査の結果、悪性胸膜中皮腫と診断され、単身赴任先の東京から名古屋に戻り療養を始めたが、14年1月12日、わずか80日余の療養の後、帰らぬ人となった。57歳だった。
Fさんのお連れ合いのFさんがアスベストユニオンに加入し、ユニオンがF組合員や息子さんと共に大手設備工事会社と交渉した結果、会社が遺族に3500万円の和解金を支払うことで解決した。7月に名古屋で合意文書の調印が行われ、調印後、会社はFさんのお墓にお参りした。
◎最初の相談
私が、普段仕事をしている名古屋市八事の近所に住むFさんから最初に相談を受けたのは14年4月。内容は、「名古屋市立大学病院に入院していた夫が1月に悪性胸膜中皮腫のため亡くなった。若い時に建築物の空調設備等を施工する大手設備工事会社の現場監督をしていたので、その時にアスベストを吸ったのだと思い、労災申請をしたが、会社から会社証明をもらえず、すでに退職していた先輩に夫の仕事について労働基準監督署に話をしてもらった。労災が認められるかとても不安」というものだった。FさんもFさんと同じ会社の元従業員で、事務員をしていて知り合い結婚したという。
ほどなく5月に労災認定されたが、Fさんの悲しみは深く、Fさんの話をする時はいつでも涙ぐんでおられた。昨年、やはり中皮腫で私立学校教師だった夫を亡くした方が労災認定を求めて国を相手に闘っている裁判に、Fさんが傍聴に来られた。私が、裁判所の待合室でFさんに、アスベストユニオンに加入して会社と交渉してはどうかと思い切って尋ねたところ、Fさんはユニオンに加入し、会社と交渉することを決断した。そこで、さっそく要求書を作成し、会社に団体交渉を申し込んだ。
◎団体交渉
1回目の団体交渉は今年2月23日に東京弁護士会館で行われた。会社側は総務部長と弁護士が出席。ユニオン側は川本書記長、F組合員と息子さん、執行委員の私が出席。息子さんは東京で働いており、団体交渉に駆けつけてくれた。
当初、会社側弁護士が、「当方には違法性が無いので損害賠償金をお支払する義務はありません」とけんもほろろの対応。アスベスト労災についてよく理解していないのが分かった。これに対し、川本書記長が最近のアスベスト労災の損害賠償裁判の判例などを踏まえて反論。F組合員は、「夫を返してほしい。夫は会社のために全身真っ白になって働いていた。私も事務員として夫と同じ会社に勤めていたので現場の様子は知っている」と訴えた。また、夫の療養中に会社が労災保険請求書の在籍証明を拒むなど非協力的だったことについて「会社のために働いて病気になったのになぜ証明してくれなかったのか」と激しく抗議した。総務部長が「このことは上層部に伝える」ということで団交は終了。
2回目の団体交渉は、4月1日に東京弁護士会館で行われた。会社は前回と態度を変え、現場で使用されていた保温材やパッキンの一部にアスベストが含まれていたことを認め、Fさんの職業病発症と労災保険請求手続きに協力しなかったことに対して謝罪して損害賠償金2500万円を支払うことを申し出た。F組合員が、労災保険請求用紙に会社が証明をしなかったことを激しく問い詰めると、総務部長は「申し訳なかった」と言うのみ。川本書記長が、逸失利益を踏まえて損害賠償を再検討するよう申し入れ、会社側が再検討することになった。
◎解決に向けて
その後半月ほどして会社からファックスには、労災請求手続き時に不快な思いをさせたことへの謝罪や、損害賠償金3500万円を正式な稟議を経たうえで提示したいと考えているとあった。また、これまでのアスベスト労災認定者は1名で、すでに死亡していること、Fさんの元同僚や退職者に対しては、OB会を通じてアスベスト健康被害情報を提供することなどが記されていた。
Fさんのケースが早く解決したのは、F組合員が堂々と自身の主張を会社側に伝え、息子さんも団交に参加し、家族全員で取り組んだことが大きかったと思う。